敬恵〔キョンヘ〕王女/朝鮮王朝人物紀行5

敬恵王女の抵抗

1453年に端宗の叔父である首陽大君(スヤンデグン)がクーデターを起こして、端宗を補佐する高官たちを次々と殺害していった。
その際に敬恵王女の夫である鄭悰も危険分子と見なされた。首陽大君は彼を反抗した罪で、江原道(カンウォンド)の寧月(ヨンウォル)という場所に流してしまう。その後、首陽大君は端宗から王の座を奪うかたちで、1455年に7代王・世祖(セジョ)として即位した。
敬恵王女は、夫の鄭悰を流罪にしただけでなく、弟の端宗から王位を強奪した世祖を激しく憎んだ。抗議の意味で自分が病床に伏せていることを明かすと、彼女の動向を気にしていた世祖は、敬恵王女を見舞うことを理由に鄭悰を流罪先から呼び戻した。
しかし、世祖の側近たちから鄭悰の罪を解いたことに反対の声があがったので、鄭悰は最初の寧月よりも都に近い水原(スウォン)に流されることになった。その際に妻である敬恵王女が驚きの行動に出る。なんと、王族である彼女自身が夫と一緒に配流地の水原へ赴こうとしたのだ。王族の女性がその立場に身を置くのは今までにないことだった。鄭悰に対する敬恵王女の愛は、相当なものだったと言えるだろう。




1456年、端宗の復位を願う高官たちが世祖の命を狙って「端宗復位騒動」を起こした。その騒ぎの中で鄭悰に対する処罰が厳しくなり、彼は全羅道(チョルラド)の光州(クァンジュ)に流されることになった。その際も敬恵王女は夫についていくことを望んだ。それを聞き入れた世祖は、彼女のために輿(こし)まで用意したのである。
(ページ3に続く)

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