『雲が描いた月明り』の主役コンビは、パク・ボゴムが扮したイ・ヨン(孝明世子〔ヒョミョンセジャ〕)とキム・ユジョンが演じたホン・ラオンだ。わかりやすくいえば、イ・ヨンは将来の国王が約束された身分であり、ホン・ラオンは内侍府(ネシブ/王族の世話を全般的に見る官庁)の内官(ネグァン)だった。
実在の孝明世子は?
内侍府の内官は、基本的に宦官(かんがん/去勢された男子の官僚)がなっている。そういう内官に女性のホン・ラオンがなるというところが、『雲が描いた月明かり』の重要な設定になっていた。
なにしろ、内官は王族にピッタリ寄り添うので、イ・ヨンとホン・ラオンがいつも一緒にいるのは、なんら不思議はない。
ただし、内侍府の内官になるときには、「本当に去勢された男子であるか」を厳しくチェックされるので、女性がなりすますことはありえない。
しかし、ありえないことを起こしてストーリーを動かすのもドラマの醍醐味だ。
さらに言うと、『雲が描いた月明り』といえば、なんといってもパク・ボゴムだ。
彼が颯爽とイケメンの世子(セジャ/国王の正式な後継者)を演じたからこそ、このドラマはときめくような面白さがあった。
その世子のモデルとなっていたのが、実在の孝明世子だ。
1809年に生まれた孝明世子は、23代王・純祖(スンジョ)の長男である。
孝明世子は幼いころから頭脳明晰で、中国の古典に早くから精通していた。朝鮮王朝には数多くの世子がいたが、その賢明さは随一であった。
その知性に純祖が大変な期待をかけたからこそ、まだ18歳だった孝明世子に1827年から代理聴政(テリチョンジョン/摂政のこと)をさせたのだ。
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