『雲が描いた月明り』のイ・ヨン(孝明世子)が象徴する世子とは?

朝鮮王朝の国王の正式な後継者のことを「世子(セジャ)」と言う。『雲が描いた月明り』の主人公だった孝明(ヒョミョン)世子が有名だが、この世子はどのように選ばれて、王になるまでにどんな教育を受けて、何歳くらいで結婚するのだろうか。具体的に説明していこう。

写真=韓国KBS『雲が描いた月明り』公式サイトより




春の吉日に世子が決められた

王の長男が生まれると「元子(ウォンジャ)」という王位継承の筆頭候補になる。
その元子の養育と保護のために王宮内に保養庁が作られる。元子は次世代の支配者であるため、この保養庁の責任官にあたる輔養官になるのは光栄なことであり、同時に政治的にも重要な地位を占めるようになった。
輔養官が元子に会う日には5人の輩童(同じ年ごろの子)をつれて行った。元子が孤立しないためであった。
こうして輔養官は10日または15日に一度元子に会った。
元子が成長して字を学べる頃になると保養庁は講学庁に変わる。元子は朝講、昼講、夕講と、1日に3回の学習を受けた。
この元子が成長して適切な年齢(5歳から10歳くらい)になると、いよいよ王位の正統継承者である「世子(セジャ)」に任命される。この決定は大臣たちの要請によって始まる。元子の年齢と学問が世子にふさわしいという点が強調され、王は春の吉日を選んで世継ぎを決める。




未来の王として公認された世子はそれにふさわしい処遇を受ける。
まず、世子を象徴する七章服(七つの紋様が刺繍されている世子の正服)とともに、世子の権威を象徴する文書や印鑑などを所有する。同時に自分の官僚と護衛兵を率いることができる。
なんといっても、世子は未来の王だ。いつになるかわからない王になる日のため、後継者としての訓練をしなければならない。
世子は新たな時代を開く春に当たるため「春宮(チュングン)」と呼ばれたし、春は東と同義なので「東宮(トングン)」とも称された。
実際、王宮の空間構造で世子が住むところは東だった。
世子を補佐する世子官僚たちは東宮官と呼ばれた。世子の教育を担当したのが世子侍講院で、護衛を担当したのが世子翊衛司である。
世子侍講院の官僚はみんなこぞって、科挙(超難関の官僚任用試驗)に合格した参上官であり、家門も良かった。
(ページ2に続く)

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