過酷な環境
518年も続けば朝鮮王朝には数多くの王女がいたが、敬恵(キョンヘ)王女ほど波瀾万丈の生涯を送った王女は他にいないのではないか。
敬恵王女は5代王・文宗(ムンジョン)の娘として1435年に生まれた。“朝鮮王朝の王女の中で一番美しかった”という評判を得たというから、どれほどの美貌を誇っていたのだろうか。
本来ならば、幸せな一生を送れたはずなのに、弟の6代王・端宗(タンジョン)が叔父から王位を奪われてから人生が流転した(端宗は後に死罪となっている)。
その叔父は7代王・世祖(セジョ)となったが、敬恵王女の夫に謀反の疑いをかけて夫婦を冷遇した。
敬恵王女が果敢なのは、夫が流罪になったときに自分も配流地まで一緒に付いていったことだ。
王族の女性で、過酷な環境を自ら進んで受け入れる人は他にいないだろう。それほど夫を愛していたのである。
(ページ2に続く)