〔仁粋(インス)大妃の命を縮めたのが孫の燕山君(ヨンサングン)だった〕

母の死の真相を知らない息子

確かに、使者は謙虚に反省の日々を過ごす尹氏の生活ぶりを見てきたが、成宗のもとに向かう途上で仁粋大妃につかまった。
「殿下には、あの女が反省もなく乱れた生活を送っていると伝えよ。さもなくば…」
おどかされた使者は、仁粋大妃の言ったとおりに成宗に報告した。成宗は激怒し、尹氏を死罪にした。
彼女は1482年に毒を仰いで自害したのだ。
その出来事は、ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』の冒頭の部分で描かれていた。この人気時代劇は、重要な史実を巧みに物語の中に組み込んでいたのだ。
成宗は、尹氏のことは今後一切話してはならないと周囲に厳命した。このとき、成宗と尹氏の間に生まれた男子はわずか6歳だった。
彼は母の死の真相を知らないまま育ち、1494年、成宗が世を去ったのちに18歳で王になった。彼こそが、朝鮮王朝で最悪の暴君と称される10代王・燕山君(ヨンサングン)である。
(ページ3に続く)

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