1623年、光海君(クァンヘグン)が廃位となり、16代王・仁祖(インジョ)が即位した。当時、光海君の継母であった仁穆(インモク)王后と娘の貞明公主(チョンミョンコンジュ)は離宮に幽閉されていたが、新しい国王になって解放された。そのとき、貞明公主は20歳だった。
国王が乗る馬
王族女性の場合は10代前半に結婚するケースが多かった。
いくら遅くても10代後半までには婚姻を終えていて、20歳まで未婚というのは異例だった。
しかし、貞明公主の場合は仕方がなかった。なにしろ、幽閉されていたのだから。
ようやく自由の身となった。すぐに貞明公主の婿選びが始まり、良家の御曹司であった洪柱元(ホン・ジュウォン)が夫に決まった。
彼は貞明公主より3歳下だった。
2人の結婚式は盛大に行なわれた。
当時、国王が乗る馬のことを「御乗馬(オスンマ)」と呼んだが、この御乗馬が貞明公主の結婚式に使われた。
それほど、貞明公主は優遇されたのだ。
しかし、御乗馬が使われたことがあとで大問題になった。
大問題になったのは、ただの御曹司にすぎない洪柱元が国王のために用意された馬に乗ったからだ。
高官たちは貞明公主と洪柱元の処罰問題を論議した。
しかし、最終的に仁祖が2人を許した。
それは、なぜなのか。
仁祖は光海君を追放して国王になったのだが、彼が起こしたクーデターに大義名分を与えてくれたのが仁穆王后だった。
いわば、仁穆王后に恩義があった。それゆえ、仁穆王后の娘であった貞明公主に特別な待遇を与えたのである。
そればかりか、後には貞明公主に広大な土地を与えた。それゆえ、貞明公主は女性の中で一番の大地主になった。
それもすべて、仁祖が仁穆王后に借りた恩義を返すためだった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
7男1女を育て82歳まで生きた貞明公主(チョンミョンコンジュ)の人生!
仁祖(インジョ)が貞明公主(チョンミョンコンジュ)を標的にした!
仁祖(インジョ)はなぜ光海君(クァンヘグン)に復讐したかったのか?