朝鮮半島の南東部に位置する慶州(キョンジュ)は、まるで町全体が重厚な歴史博物館であるかのようだ。新羅(シルラ)というかつての大国は、この慶州の町と切っても切り離せない。なぜなら、新羅は慶州を地盤として後に朝鮮王朝最初の統一国家に発展していったからだ。改めて、新羅という国の成り立ちを見てみよう。
由緒正しき王制
紀元前から紀元後にかけての朝鮮半島は、各地で部族国家が狭い領土を確保しながら競いあっていた。そのころは稲作や鉄器の製造が各地に広まった時期であり、いち早く食料を確保して武器を備えた部族が力を伸ばしていった。その1つが、慶州とその周辺を領土とする部族国家の斯盧(サロ)だった。
この国は、やがて水利事業で大きな成果を見せて、国土を今の慶尚(キョンサン)北道まで広げ、徐々に中央集権国家としての体制を整えていった。
当時は、朝鮮半島北部に高句麗(コグリョ)、西南部に百済(ペクチェ)が誕生しており、新羅は三国の中では中央集権国家の制度作りが最も遅れていた。とはいえ、神話が混在した記録によると、新羅もそれなりに由緒正しき王制を持っていた。
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