知りたい朝鮮王朝17/最大の屈辱で恥をかいた仁祖

清からの国書

後金は屈強だった。必死に抗う朝鮮王朝だが、圧倒的な戦力差によって、もはや戦うことが不可能な状況にまで追い込まれた。
勝敗は完全に決していたが、後金は朝鮮王朝に対して、これ以上の侵攻をしない代わりに、自分たちに協力せよと強要してきた。つまり明に従うな、ということだった。
仁祖はその条件を受けざるをえなかった。この和睦条件は、日ごろ後金のことを「辺境の蛮族」と馬鹿にしていた朝鮮王朝にとって、耐えがたい屈辱だった。仁祖は後金への怒りを募らせていく。
「後金なんかに従わねばならないとは……。なんと情けないことか」
朝鮮王朝は軍備を整えながら、後金に対する復讐の機会をうかがった。しかし、圧倒的な軍事力を持つ後金は、領土をどんどん広げていき、とうてい手をだすことができなかった。




1636年4月、後金は国号を清と改め、面従腹背の朝鮮王朝に対して再び強硬策に出てきた。今度は朝鮮王朝に対して兄弟関係ではなく君臣関係を結ぶように迫ったのだ。
実際に、清から国書が届いた。内容は「今すぐに我が国の配下となれ」というものだった。もはや、仁祖や臣下たちの我慢は限界に達した。
仁祖は返事も書かず使者を殺してしまった。
(ページ3に続く)

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