知りたい朝鮮王朝21/トンイから徹底的な教育を受けた英祖

「李麟佐の乱」

英祖が即位して4年がたつと、景宗の死で政治的基盤を脅かされた景宗派が大規模なクーデターを起こした。
彼らは「景宗の死は英祖派の人間が毒をもったからだ」と主張し、各地にいる景宗派の人間に決起を呼びかけた。
「毒殺された殿下の恨みを晴らし、正統な王をたてるべきだ」
こうして景宗派の謀反計画は始まった。
1727年、彼らは「景宗は毒殺された」「英祖は粛宗の本当の息子ではない」という文書を全国に流し、それを根拠として志願兵を募った。
こうした計略はすぐに見破られ、英祖は謀反加担者の捜索を始めた。
焦りを感じた景宗派は、1728年に先手を打って挙兵し、政府への攻撃を開始した。その中心に立った人物が李麟佐(イ・インジャ)だ。
彼は自らを大元帥と名乗り、棺桶の中に武器を隠しながら、英祖派の主要人物を立て続けに殺し、重要な城を占拠した。




勢いに乗った李麟佐は、各地へ檄文を飛ばし、民心を動揺させた。
「不正な手段で王になった英祖を認められない者は、私と共に戦おう!」
(ページ3に続く)

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