地方に逃げた2人
鄭蘭貞の行き過ぎた行為は、「王妃に取り入った妖女」「儒教的な身分制度を覆す毒婦」と評された。その悪評は市中にもとどろいたのである。
しかし、1565年が転換点になった。この年に文定王后が死んだのである。
こうなると、鄭蘭貞と尹元衡は完全に後ろ盾を失った。
「このままなら殺される。逃げよう多くの恨みを買っていることを知っていた鄭蘭貞と尹元衡は、あわてて地方に逃げていった。
しかし、鄭蘭貞は常に命を狙われていると怯え、最後は耐えきれなくなって自ら命を絶ってしまった。
そういう意味では、精神的に弱い女性であったのかもしれない。
鄭蘭貞が死ぬと、夫の尹元衡も悲観して最後は自決した。