カテゴリー:国王
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朝鮮王朝の14代王・宣祖(ソンジョ)には14人も息子がいた。しかし、当初は側室が産んだ王子たちばかりだった。その中で、長男が臨海君(イメグン)で、二男が光海君(クァンヘグン)である。
捕虜になった臨海君
臨海君と光海…
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生没年/1357年~1419年
在位/1398年~1400年
太祖(テジョ)には、8人の息子がいた。一番年下の八男が世子(セジャ/王の後継者)に指名されたが、五男の芳遠(バンウォン)はそれを認めず、八男を殺してしまう。…
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生没年/1335年~1408年
在位/1392年~1398年
約518年も続いた朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)。彼の父は高麗(コリョ)の武将として国土防衛の重責を担った。その父は1364年に亡くなり、二男の李成…
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韓国時代劇『オクニョ 運命の女(ひと)』は朝鮮王朝の13代王・明宗(ミョンジョン)の統治時代の話である。しかし、明宗は名ばかりの王だった。実母の文定(ムンジョン)王后が強権を持って官僚たちを牛耳っていたからである。
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意外な後継者
高麗(コリョ)王朝は一夫多妻制だった。
王朝を創設した王建(ワン・ゴン)がそもそも、地方の豪族を味方に引き入れるために戦略結婚を何度も繰り返した経歴を持っていた。
出世した文官や武官は、故郷に住む本妻の他…
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本当に暴君?
朝鮮半島の南海に浮かぶ孤島の済州島(チェジュド)は、朝鮮王朝時代に流刑地として知られた。
ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』でも、濡れ衣を着せられて済州島に流されたチャングムが、そこで医療を学んで再起を…
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1506年、暴君だった燕山君(ヨンサングン)は、彼に怨みを持つ高官たちが仕掛けたクーデターによって廃位となった。代わって王位に就いたのは、燕山君の異母弟であった中宗(チュンジョン)だった。
中宗がすがった相手
11代…
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1623年3月12日の明け方、仁祖(インジョ)に統率された1000人あまりのクーデター軍が王宮を襲い、光海君は王の座から追放された。そのとき、クーデター軍は光海君の罪状を4つ掲げた。それが、反乱を起こした大義名分になった…
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朝鮮王朝の16代王・仁祖(インジョ)は、わかりづらい人物である。まるで二つの人生を歩んだかのように、成功と失敗が極端に分かれている。果たして、仁祖の歯車はどこでおかしくなってしまったのか。
光海君の甥
光海君(クァン…
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朝鮮王朝の歴代王の子供の数を見ると、前期と後期で違いがある。わかりやすく言えば、前期の王には子供が多かったのに、後期には少なくなっている。これは、王の側室が前期に10人ほどいたのに、後期になると半減したことが影響している…
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