カテゴリー:国王
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7代王の世祖(セジョ)は、甥の端宗(タンジョン)から王位を強奪して1455年に即位しました。彼はその後も端宗を辺境の地に流罪にしてしまい、さらに、死罪を申し渡します。それは、1457年のことです。端宗は16歳になっていま…
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李芳遠(イ・バンウォン)は執拗に世子の座を狙った。彼にしても、自分の兄たちが指名されたのであれば必死にこらえたことだろう。しかし、異母弟の李芳碩(イ・バンソク)では絶対に認めることはできなかったのである。
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朝鮮王朝は1392年に建国されたが、誕生したばかりの王朝を強大にしたのが3代王の太宗(テジョン)であった。彼は朝鮮王朝の創始者である太祖(テジョ)の五男だった李芳遠(イ・バンウォン)のことだ。
異母弟が世子に…
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1701年、仁顕(イニョン)王后が世を去った。長く病に苦しんだ末の死だった。仁顕王后を慕っていた淑嬪(スクピン)・崔氏(チェシ)が、すかさず粛宗(スクチョン)に告発した……それは、張禧嬪(チャン・ヒビン)が仁顕王后を呪い…
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1689年に廃妃になった仁顕(イニョン)王后は、「私は罪人です」と自らを卑下し、実家の奥の離れで質素に暮らした。その一方で、空いた王妃の座に昇格したのが張禧嬪(チャン・ヒビン)だった。彼女は王宮の中で贅沢三昧に暮らした。…
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19代王の粛宗(スクチョン)は1661年に生まれた。父は18代王の顕宗(ヒョンジョン)であり、母は明聖(ミョンソン)王后だった。彼は13歳だった1674年に国王となって統治を始めた。
張禧嬪を寵愛
粛宗は朝鮮…
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1735年に生まれた思悼世子(サドセジャ)は神童と呼ばれた。喜んだ父の英祖(ヨンジョ)は、思悼世子が10歳のときから政治の表舞台にデビューさせた。これがいけなかった。当時の主流派閥は老論派(ノロンパ)だったが、思悼世子は…
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韓国時代劇『オクニョ 運命の女(ひと)』は朝鮮王朝の13代王・明宗(ミョンジョン)の統治時代の話である。しかし、明宗は名ばかりの王だった。実母の文定(ムンジョン)王后が強権を持って官僚たちを牛耳っていたからである。
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燕山君(ヨンサングン)がクーデターで1506年に廃位となり、代わって異母弟の中宗(チュンジン)が11代王になった。彼は急に即位したが、それまで国王になるための帝王学を学んでいなかった。何の準備もなく王になってしまった中宗…
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11代王の中宗(チュンジョン)の治世は38年に及んだ。歴代27人の王の中で五番目に長い在位だった。しかし、晩年は病気がちで床に臥(ふ)せっているときが多かった。そんな中宗を献身的に看病したのが長男の世子(セジャ/王の後継…
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