カテゴリー:人物列伝

  • 許浚(ホ・ジュン)は名著の執筆で多くの人命を救った!

    許浚(ホ・ジュン)は1539年に生まれました。彼にとって宿命的だったのは、庶子(妾の子供)であったことです。朝鮮王朝時代は身分制度が厳格で、庶子は出世できないことになっていました。 医師として大成 庶子であった許浚は…
  • 金宗瑞(キム・ジョンソ)はなぜ端宗(タンジョン)を守れなかったのか

    1452年に5代王・文宗(ムンジョン)が亡くなり、長男の端宗(タンジョン)が6代王となりますが、まだ11歳でした。この幼い端宗の後見人となったのが「大虎」と称された金宗瑞(キム・ジョンソ)でした。 首陽大君との対立 …
  • 〔後世で忠義の心を称賛された「死六臣」!〕

    忠臣の鑑 「死六臣」とは、甥をおどして王座を強奪した7代王・世祖(セジョ)に対抗して王位奪還を計画した6人の高官をさしている。計画が失敗して全員が刑死・獄死したが、忠義に殉じた志は後世で称賛を浴びた。まさに“忠臣の鑑”…
  • 〔朝鮮王朝三大悪女は誰なのか〕

    悪女にならざるをえない事情 朝鮮王朝時代では、社会の隅々まで浸透した儒教の影響で、男尊女卑の風潮がとても強かった。 女性は親の遺産の相続権がなかったし、結婚生活では夫から理不尽に離縁を強制されても受けざるをえなかった。…

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