尹元衡(ユン・ウォニョン)の人生はどのように転んでいったのか

尹元衡(ユン・ウォニョン)は、13代王・明宗(ミョンジョン)の母親である文定(ムンジョン)王后の弟である。彼は、姉の力によって強い権力を手にして政治を牛耳っている。果たして、尹元衡が歩んだ人生とはどんなものだったのだろうか。

鄭蘭貞との出会い

11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の王妃である文定王后には、慶源大君(キョンウォンデグン)という息子がいた。
彼女には、自分の息子を何としてでも王にしたいという野望があったが、それは難しかった。
なぜなら、中宗の二番目の王妃だった章敬(チャンギョン)王后の息子が世子(セジャ/王の後継者)に指名されていたからだ。




しかし、文定王后は諦めなかった。
そんな彼女の手先となって動いたのが、「朝鮮王朝三大悪女」の1人である鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)である。
鄭蘭貞は、尹元衡の妾となった女性だ。2人はどのようにして出会ったのだろうか。
鄭蘭貞は母親が最下層の身分である奴婢だったことから辛い生活を強いられていた。彼女は権力のある男性を求めて妓生(キーセン)となった。
そのときに、出会ったのが尹元衡である。
当時の尹元衡は、王妃であった姉に引き立てられて大出世を果たしていた。とはいえ、本人に能力があったわけではない。
そういう意味では、凡庸(ぼんよう)な権力者であった。
その尹元衡は、とても美しい妓生と評判だった鄭蘭貞の姿を見て一目惚れして、すぐに彼女を妾として迎えた。
鄭蘭貞は、文定王后に会うことを望んだが、妾である彼女が会うことはできなかった。それでも、彼女は尹元衡に必死に懇願して許可を得た。
当時、文定王后が世子を疎ましく思っていたことを感じた鄭蘭貞は、文定王后と組んで世子の命を狙った。しかし、それは失敗してしまう。




無事に命の危機を免れた章敬王后の息子は、12代王・仁宗(インジョン)となるが、即位からわずか8カ月で世を去ってしまう。
その原因については、文定王后が毒殺したのではないかと言われている。
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鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)と尹元衡(ユン・ウォニョン)の悪徳夫婦の最期とは?

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