世子の仲間が次々に処刑された
王朝の未来を担う世子が、宮中で米びつに閉じ込められて泣き叫んでいた。
しかも、それを命じたのが、実の父である王だった。重臣たちが信じたくない気持ちになるのも当然だった。
その中で、英祖だけは鬼のような形相で米びつをにらみつけていた。やがて彼は「絶対に米びつを開けてはならない」と厳命して寝殿に戻っていった。
米びつからもれてくる嗚咽(おえつ)……。それは、王宮にいる誰もの心を苦しくかきむしった。
英祖には、思悼世子を許す気持ちが毛頭なかった。息子を米びつに閉じ込めた翌日の1762年閏5月14日に、宦官の朴弼秀(パク・ピルス)と尼僧の假仙(カソン)が処刑された。2人は荘献をそそのかした罪に問われたのだ。
罪状は、朴弼秀が「世子に従って遊興して乱行に加担した」であり、假仙が「もともと尼僧なのに髪を長くして宮中に入り世子を誘惑した」というものだった。2人は即座に斬首されたのだが、他にも世子と遊興した妓生(キセン/宴席で歌や踊りを披露する女性)の中で5人が処刑されている。
本当に哀れなのは妓生たちである。彼女たちは仕事で思悼世子の宴席に出ていただけなのに、完全にとばっちりを受ける形になった。
罪もなき彼女たちを処刑するほど、英祖の思悼世子に対する怒りはまったくおさまっていなかった。
それは、6日が経った閏5月19日になっても同様だった。この日になって、英祖は思悼世子を補佐していた側近のほとんどを罷免した。これは思悼世子の復帰が絶対にないことを明確に示したものだった。
(第5回に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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