貞熹(チョンヒ)王后/朝鮮王朝の美女物語11

「非道な王」として悪評が多かった7代王・世祖(セジョ)の妻が貞熹(チョンヒ)王后である。彼女は1418年に官吏の娘として生まれた。果たして、どんな人生を歩んだのであろうか。





夫を支えた妻

貞熹王后は1428年、ちょうど10歳のときに、聖君・世宗(セジョン)の二男であった首陽大君(スヤンデグン)と結婚した。
そのときの逸話が面白い。
実は、王室の代理人は最初、貞熹王后の姉を候補にあげて実家を見に行った。そのとき、母の陰に隠れて代理人をのぞき見ていたのが貞熹王后であり、代理人が彼女の美しさに感心して、妹のほうを王家の嫁に推薦した。
首陽大君は貴重な宝を見つけたも同然だった。後年、首陽大君は政変に乗じて王朝の最高実力者にのしあがるが、その行動を起こす直前に一瞬の躊躇があった。すると貞熹王后は、迷う首陽大君に鎧を着せ、気合を入れて送り出したという。政変は成功したが、その陰には妻の強気な後押しがあったのである。
1455年、首陽大君は甥の6代王・端宗(タンジョン)から強引に王位を奪って7代王・世祖(セジョ)となった。貞熹王后は、王とは無縁の二男に嫁いだつもりなのに、思わぬ展開で“国母”の地位にあがった。




しかし、貞熹王后は幸せを感じるいとまがなかった。長男の懿敬(ウィギョン)がわずか19歳の若さで1457年に亡くなったのだ。
頭が良くて礼儀正しい自慢の息子だった。
貞熹王后は、我が子を助けたい一心で、王宮内で特別に大勢の僧侶を集めて死を遠ざけるための祈祷を行なったが、病は治らなかった。
貞熹王后は長男の霊をなぐさめるために寺を建て、熱心に祈り続けた。彼女は仏教に傾倒していくことで、崩れかけた自分の気持ちを支えた。
(ページ2に続く)

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