悪夢の父子!仁祖(インジョ)と昭顕(ソヒョン)世子の確執

昭顕世子に不信感を持った仁祖

清では、昭顕世子と凰林大君も一応は王子として遇せられたが、外国での人質生活は、兄と弟の心に異なる影響を与えた。
昭顕世子は清に入ってくる西洋の技術や文化に心を震わせた。そして、積極的に西洋人と交流をもち、西洋文化に心酔していった。
一方、鳳林大君は世子である兄を守るため、清の中で常に目を光らせていた。その間、彼も西洋文化に触れる機会はあったが、敗戦国の王子と馬鹿にする周囲の視線を感じていたため、清への恨みを強めるばかりだった。
昭顕世子と鳳林大君の生活ぶりは、父である仁祖に逐一報告された。仁祖は憎き清と友好を深める昭顕世子に対し、怒りを募らせていた。
また、仁祖は清から徹底した「反清思想」の持ち主だと思われていたため、昭顕世子が帰国すれば、王の座を追われるという噂まで流れていた。そのことも昭顕世子に対する仁祖の疑心暗鬼に繋がっていった。




一方、仁祖が自分に不信感を抱いていると知らなかった昭顕世子は、早く帰って清と西洋文化のすばらしさを父に報告したいと胸をはずませていた。
1645年、ようやく昭顕世子は解放されて帰国した。
すぐに昭顕世子は父を訪ねた。しかし、久しぶりの再会にもかかわらず、仁祖はそっけない態度を見せるばかりだった。
それどころか、昭顕世子が清と西洋の文化のすばらしさを語り始めると、露骨に嫌な顔を浮かべ始めた。昭顕世子が帰国の際に持ち込んだ外国の機械や書籍を見せると、仁祖は手元にあった硯(すずり)を昭顕の顔に投げつけて、どなり散らした。
「世子という立場にありながら、憎き清の言いなりになるとは……。今すぐこの場から立ち去れ!」
父の剣幕に驚いた昭顕世子は、悲しみに暮れながら仁祖の前から立ち去った。この事件の2カ月後、昭顕世子は原因不明の死を遂げる。
彼の遺体は、黒ずんでひどく腫れあがっていた。まるで毒殺されたかのようだった。
不可解なことに、仁祖は昭顕の主治医を処罰しなかった。王族が命を落としたら、主治医が処分を受けるのは当然だったのに……。




さらに、仁祖は昭顕世子の葬儀を王位継承者とは思えないほど簡素に済ませた。
仁祖の対応によって、その後に「仁祖が昭顕世子を毒殺したのでは?」という疑いが強く残った。疑惑は、仁祖が昭顕の残された家族までも自決や流罪に追い込んだことで、一層深まっていった。

文=慎虎俊(シン・ホジュン)

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