息子の回復を願って……
明聖王后の息子への溺愛ぶりは宮中でも有名だった。それだけに、粛宗が原因不明の重病に陥ったとき、明聖王后は取り乱した。
巫女を呼んで祈祷をすると、その巫女から「母の体内にわざわいがあり、それが王の病の元になっています。わざわいを解くには、水でからだを清めることです」と指摘されてしまった。
そこまで言われたら、水浴びをしないわけにはいかない。
いや、むしろ、明聖王后は自ら進んで何日も水浴びをした。しかし、季節は真冬。身が凍るような冷水は明聖王后を極端に衰弱させた。その果てに、彼女は1683年に41歳で亡くなった。
しかし、その死は無駄ではなかった。粛宗が奇跡的に回復したからである。いわば、明聖王后は息子の身代わりになったのだ。
母として本望であったかもしれない。
ただ、その死は結果的に1人の女性を宮中で復活させることになってしまった。張禧嬪である。彼女は、明聖王后が存命であれば粛宗に近づくことができなかったのだが、その障害がなくなり、宮中は張禧嬪の復活で混乱に陥っていった……。