朝鮮王朝三大悪女より性悪だった最悪の側室とは?(歴史人物編)

朝鮮王朝の3大悪女といえば、張緑水(チャン・ノクス)、鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)、張禧嬪(チャン・ヒビン)のことだが、この3人より性格がワルだったと言える側室がいた。果たして、その側室とは?





王と世子の対立

16代王の仁祖(インジョ)は、1637年1月に清の皇帝の前で屈辱的な謝罪をさせられた。さらに、息子3人が人質として清に取られてしまった。
そんな傷心の仁祖が王宮で寵愛したのが側室の貴人(キイン)・趙(チョ)氏だった。彼女はほどなく仁祖の王女を出産している。
この時点で仁祖は最初の王妃だった仁烈(インニョル)王后に先立たれている。
貴人・趙氏に入れ込んだ仁祖は、再婚する気配をまるで見せなかった。しかし、王がいつまでも独身でいるわけにもいかない。
彼は1638年に荘烈(チャンニョル)王后と再婚した。
残念ながら、荘烈王后は王宮の中で不遇の日々を過ごした。彼女は王の愛を得られず、側室の貴人・趙氏にすらいじめられたからだ。
誠に不幸な王妃であった。それも貴人・趙氏の陰湿なやり方が影響していた。
なにしろ、貴人・趙氏は仁祖の王子も産み、図に乗って横暴を繰り返すようになった。さらに、彼女の悪事が王朝を揺るがす事態になった。




それは、清の人質になっていた昭顕(ソヒョン)世子が8年ぶりに帰国した1645年の出来事だった。
仁祖と昭顕世子が対立したのが発端だ。仁祖は清を憎悪して復讐を誓っていたが、昭顕世子は人質生活を送った清の文明に感化されていたのだ。
対立が決定的になった直後に、昭顕世子は急死してしまった。
あまりに突然だったが、毒殺されたという疑いが出た。というのは、貴人・趙氏の実家に出入りしていた医官が昭顕世子に毒の鍼(はり)を打った可能性が極めて高いのだ。
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王子を産んだ張禧嬪(チャン・ヒビン)はその後どうなった?

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