再び焼失する恐れ
もちろん、景福宮の再建計画もあるにはあったが、財政の問題がネックになっていた。しかも、景福宮の位置が不吉だという意見が亡霊のように残っていた。つまり、南側に火を起こす気脈が満ちている、というわけだ。
「たとえ再建しても、再び焼失することになったら……」
それが恐ろしくて再建に踏み切れなかったと思われる。それによって、景福宮は273年間も放置されたのである。
1865年、26代王・高宗(コジョン)の父親で最高実力者だった興宣(フンソン)大院君は、混乱する内政の中でも、王家の権威を取り戻すために景福宮の再建を無理に進めた。
結果的に、無謀な工事で民衆の税負担が飛躍的に増えて、朝鮮王朝はさらなる衰退に陥ってしまった。
景福宮もそのまま放置しておいたほうが、王朝にとっては財政的な重荷を背負わなくて済んだのだろうが……。
文=康 熙奉(カン ヒボン)