朝鮮王朝の始まりが5分でわかる歴史エピソード!

遷都の実行

もともと朝鮮王朝を開いた李成桂が高麗の武将であり、高麗の統治機構に精通していた。また、初期の朝鮮王朝は高麗時代の優秀な官僚をそのまま採用して人材を活性化させている。いわば、朝鮮王朝は高麗王朝の見習うべき制度を巧みに受け入れて、王朝の基盤づくりを行なったのである。
ただし、王朝が一新されたことを明確にするためにも、高麗王朝とはガラリと変えた点が二つあった。それは遷都と崇儒排仏である。
まず、遷都から説明してみよう。
高麗王朝の都は朝鮮半島の中央部に位置する開京(ケギョン/現在の開城〔ケソン〕)であった。地の利もよく王宮などの施設が揃っている、という点では、李成桂も朝鮮王朝の都をそのまま開京にするほうがはるかに便利だったことだろう。
しかし、李成桂は“高麗時代の影響が残りすぎている開京に安住していると新しい王朝の未来像が描けない”と思い、困難を承知で遷都する意志を固めた。以来、風水師を動員して民族の精気が宿る土地を探した結果、白羽の矢を立てたのが漢陽(ハニャン/現在のソウル)だった。




漢陽は開京から南西に50キロ行ったところにあり、風水師が太鼓判を押しほど“気”が満ちた場所だった。その中でも特に“気”が集まる中心地に李成桂は王宮を建てた。それが、今もソウル最大の名所となっている景福宮(キョンボックン)である。
(ページ3に続く)

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