悪の手先だった鄭蘭貞

鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)の人生を振り返ってみると、低い身分から何が何でも抜け出てやろう、という悲壮なまでの覚悟が見えてくる。鄭蘭貞の母は奴婢(ぬひ)だったために、普通なら鄭蘭貞も同じ境遇で生きなければならなかったのだが、彼女は自ら妓生(キセン)となって人生の上昇気流に乗ろうとした。

写真=植村誠




成り上がるための手段

鄭蘭貞は妓生として宴席で酔客のとなりに座りながら、人間をよく観察し、出世の相がある人物をさがした。その中で、めざとい鄭蘭貞が目をつけたのが尹元衡(ユン・ウォニョン)だった。
尹元衡は、11代王・中宗(チュンジョン)の継妃となった文定(ムンジョン)王后の実弟である。文定王后に引き立てられて、尹元衡も高官にのぼりつめていた。
姉の権力に乗って高位を得た傲慢な尹元衡にとって、美貌の妓生を妾にするのは自尊心をくすぐることであった。
しかし、鄭蘭貞のほうは高官の妾ではとうてい満足できなかった。彼女は初めから尹元衡の正妻になることを狙っていた。
鄭蘭貞は文定王后に認められたくて仕方がなかった。そこで考えたのは文定王后が警戒していた敬嬪(キョンビン)・朴(パク)氏を追放して点数をかせぐことだった。当時、敬嬪・朴氏は中宗にもっとも気に入られていた側室だった。




1527年、「灼鼠(しゃくそ)の変」が起きた。
これは、世子(セジャ/国王の正式な後継者)の屋敷の庭で、火であぶられたネズミの死体が木にくくられていた事件だった。それだけでなく、景福宮(キョンボックン)の大殿でも焼け死んだネズミが見つかった。
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