『華政』の主人公・貞明公主の歴史8「苦難」

外交政策の失敗

仁祖が即位してから13年後、1636年12月に朝鮮王朝に最大の危機が訪れた。
朝鮮半島の北方にあった後金が国名を清に変えてから、10万人以上の兵力で攻め入ってきたのだ。
朝鮮王朝は清の大軍に歯が立たず、朝廷は都の漢陽(ハニャン)を捨てて、南側の南漢(ナマン)山城に籠城した。
しかし、結果は見えていた。結局は、1637年1月に仁祖が漢江(ハンガン)のほとりまで出向いて、清の皇帝の前で土下座のごとき屈辱的な謝罪をした。朝鮮王朝が清に完全に屈伏したのである。
朝鮮王朝は莫大な賠償金を課され、仁祖の息子3人も人質として清に連れ去られてしまった。すべては、仁祖の外交政策の失敗のせいである。




この国難の最中、貞明公主は都の漢陽を離れて、漢江の河口の目の前に浮かぶ江華島(カンファド)に避難した。
このときの有名なエピソードが今も語り種になっている。
(第9回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

『華政』の主人公・貞明公主の歴史1「誕生」

『華政』の主人公・貞明公主の歴史2「悲劇」

『華政』の主人公・貞明公主の歴史3「才能」

『華政』の主人公・貞明公主の歴史7「危機」

『華政』の主人公・貞明公主の歴史9「善行」




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