知りたい朝鮮王朝19/張禧嬪を寵愛した粛宗

名君と言われた粛宗

嫌気がさした顕宗は、臣下たちに「これ以上争いを続けるならば重い処罰を与える」と厳命したが、それも効果がなかった。彼は在位した15年の間、ずっと権力闘争に苦しめられた。
1674年、顕宗は33歳の若さで亡くなり、13歳の息子が粛宗(スクチョン)として王位についた。
粛宗は、父の顕宗によって6歳の頃に次の王として指名され、徹底的な帝王学を叩きこまれた。
英才教育を受けてきた彼は、王になると、度重なる戦乱によって疲弊した朝鮮王朝の復興に力を注いだ。
また、農業地を整備し、商業を発展させるために新たな貨幣を作らせて、経済の発展を促した。
そして、過去の失敗を教訓として、都の周りや辺境の地には、次々と防衛拠点を設けて国防を強化した。




その結果、庶民は粛宗を名君と崇めた。そんな粛宗だが、私生活では女性問題で騒動を起こしている。
(ページ3に続く)

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