36年の短い人生
景宗が即位しても、対立する2つの派閥は常に相手の失脚を画策していた。
二男を支持する4大臣は、景宗が王になって1年もたたないうちに、二男を正式に後継者とするべきだと主張した。景宗派は、その不当性を訴えるが受け入れられず、かえって二男が景宗にかわって政務を取り仕切るべきだ、という意見まで出てしまった。
こうした結果になったのも、張禧嬪が死罪になっていて、景宗が罪人の息子という立場だったことが大きい。
党争が続くと、景宗の一派は二男を殺す機会を探し始める。身の危険を感じた二男は、「自分は次の王にならない」と明らかにした。これは身を守るための建前だが、結果として彼の命を守った。
二男には王になる意思がないと確信した景宗派は、今度は二男を支持する一派を厳しく処罰した。
1724年、王子時代からの持病を悪化させた景宗は、36年の短い人生を終えた。党派争いに翻弄されてきた彼は、王として何も残すことができなかった。
跡取りがいない景宗が亡くなり、結局、弟が21代王の英祖(ヨンジョ)として即位した。
文=「チャレソ」編集部