『雲が描いた月明り』の主人公として、韓国でもすっかり有名になった孝明世子(ヒョミョンセジャ)。彼は21歳で亡くなったので、世子(セジャ)でありながら王にはなれなかった。
わずか7歳で即位
孝明世子は、23代王・純祖(スンジョ)の長男として1809年に生まれた。頭脳明晰で優秀であったために、18歳のときには純祖に代わって代理聴政(テリチョンジョン/政治を代行すること)を行ない、そこでも成果をあげた。
当然ながら、未来の国王として大いに嘱望(しょくぼう)されたわけだが、残念ながら1830年に21歳で急死してしまった。
こうなると、朝鮮王朝の王位継承のシステムが完全に崩れた。
孝明世子が世を去ったとき、父親の純祖は40歳であった。まだ老いてはいなかったのだが、身体が病弱であったことは確かだ。
案の定、1834年に亡くなった。
本来であれば孝明世子が後を継ぐわけだが、彼も先に世を去っているので、王位を継承したのは孝明世子の長男だ。
彼が憲宗(ホンジョン)として24代王に即位した。
憲宗は1827年に生まれていたので、王位を継承したときはわずか7歳であった。今で言えば、小学校に入学するような年齢で王になったのである。
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『雲が描いた月明り』総決算1「主人公イ・ヨンのモデルとなった人物は?」