タグ:歴史
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世子(セジャ)といえば、国王の正式な後継者です。それなのに、命を奪われてしまった3人の世子がいます。果たして、志なかばにしてこの世を去った3人とは、誰なのでしょうか。
あまりに悲しき運命
3人の世子とは、李芳…
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1720年6月8日に19代王の粛宗(スクチョン)が亡くなった。このとき、粛宗と張禧嬪(チャン・ヒビン)との間に1688年に生まれた王子が世子(セジャ/国王の正式な後継者)になっていた。彼が、20代王・景宗(キョンジョン)…
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朝鮮王朝は27人の王を擁(よう)して1392年から1910年まで続いた。518年という長期に及んだ一大王朝だったのだ。朝鮮王朝はなぜこれほど長寿の王朝になったのだろうか。
国教は儒教
李成桂(イ・ソンゲ)が初…
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李芳遠(イ・バンウォン)は執拗に世子の座を狙った。彼にしても、自分の兄たちが指名されたのであれば必死にこらえたことだろう。しかし、異母弟の李芳碩(イ・バンソク)では絶対に認めることはできなかったのである。
1…
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朝鮮王朝は1392年に建国されたが、誕生したばかりの王朝を強大にしたのが3代王の太宗(テジョン)であった。彼は朝鮮王朝の創始者である太祖(テジョ)の五男だった李芳遠(イ・バンウォン)のことだ。
異母弟が世子に…
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世子(セジャ)といえば、朝鮮王朝の皇太子である。次の王が約束された身分なのだ。それなのに、その世子の中で外国の人質になった人がいる。それが、16代王・仁祖(インジョ)の長男だった昭顕(ソヒョン)世子である。
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1701年、仁顕(イニョン)王后が世を去った。長く病に苦しんだ末の死だった。仁顕王后を慕っていた淑嬪(スクピン)・崔氏(チェシ)が、すかさず粛宗(スクチョン)に告発した……それは、張禧嬪(チャン・ヒビン)が仁顕王后を呪い…
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1689年に廃妃になった仁顕(イニョン)王后は、「私は罪人です」と自らを卑下し、実家の奥の離れで質素に暮らした。その一方で、空いた王妃の座に昇格したのが張禧嬪(チャン・ヒビン)だった。彼女は王宮の中で贅沢三昧に暮らした。…
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19代王の粛宗(スクチョン)は1661年に生まれた。父は18代王の顕宗(ヒョンジョン)であり、母は明聖(ミョンソン)王后だった。彼は13歳だった1674年に国王となって統治を始めた。
張禧嬪を寵愛
粛宗は朝鮮…
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韓国時代劇を見ていると、捕盗庁(ポドチョン)の役人がよく出てくる。重要な事件のときに出番が多いのだが、この捕盗庁というのはどんな役所なのだろうか。ここで詳しく説明しよう。
腰に赤色の太い縄を付けた
朝鮮王朝時…
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