タグ:歴史
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1506年、燕山君(ヨンサングン)が廃位となり、異母弟の中宗(チュンジョン)が11代王として即位した。ただし、即位式では正式な冠服を着られなかった。あまりに急で準備が間に合わなかったのだ。
中宗反正とは?
王…
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“最悪の暴君”と呼ばれた燕山君(ヨンサングン)。「朝鮮王朝実録」で燕山君は、「嫉妬深くて曲がった性格で、知恵深いところもなかった。優秀な教師がそばについていても、物事の理解力が足りなかったのである」と辛辣(しんらつ)に書…
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朝鮮王朝では、王や世子が結婚する時期を迎えたら、まず、王家に嫁を出せる身分(貴族階級ともいえる両班〔ヤンバン〕がほとんど)の家に対して「禁婚令」が出され、若い娘の結婚が禁じられました。
敬遠された理由
なぜ、…
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イ・サンこと正祖(チョンジョ)は“親孝行の手本”のような王であった。彼は父である思悼世子(サドセジャ/米びつで餓死させられた)を心から敬慕し、その名誉回復に全力を注いだ。
城郭が完成した
正祖は、父に対して“…
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朝鮮王朝には王妃が42人いたが、典型的な悪女だったのが文定(ムンジョン)王后と貞純(チョンスン)王后だ。2人は権力を握って悪行を繰り返した。こうした悪女と正反対で、一番の聖女と言われた王妃は誰だったのか。
洪…
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朝鮮半島の南海に浮かぶ孤島の済州島(チェジュド)は、朝鮮王朝時代に流刑地として知られた。ドラマ『宮廷女官 チャングムの誓い』でも、濡れ衣を着せられて済州島に流されたチャングムが、そこで医療を学んで再起をはかるというストー…
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5代王・文宗(ムンジョン)の正室である顕徳(ヒョンドク)王后は息子(後の6代王・端宗〔タンジョン〕)を産むと3日で亡くなった。死ぬ間際の彼女は、端宗が立派な王になれるように周囲に祈りを託していた。
母の呪い
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英祖(ヨンジョ)は1776年3月4日に82歳で世を去った。後を継いだのが孫の正祖(チョンジョ)である。ドラマ『イ・サン』の主人公だった人だ。正祖は3月10日に慶熙宮(キョンヒグン)で即位式を行なった。
震え上…
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朝鮮王朝の王妃の中で聖女として慕われたのが、正祖(チョンジョ)の正室であった孝懿(ヒョイ)王后である。しかし、彼女は毒殺される危機に瀕した。それは果たして、どんな事件だったのだろうか。
パク・ウネが演じた孝懿…
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初代王の太祖(テジョ)の五男だった芳遠(バンウォン)は、1400年に3代王・太宗(テジョン)として即位した。彼は、骨肉の争いを経て王になったので、自分の息子たちも世子(セジャ)の座をめぐり争うのではないかという不安を抱く…
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