タグ:歴史

  • 王妃たちが国母であった時代「第1回」

    李成桂(イ・ソンゲ)は1392年に朝鮮王朝を開いて、初代王・太祖(テジョ)となった。太祖の最初の妻は、神懿(シヌィ)王后で、夫婦には息子が6人いた。上から芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳毅(バンイ)、芳幹(バンガン)…
  • 知りたい朝鮮王朝27/518年間の王朝政治の終焉

    1876年、朝鮮王朝は日本と修好条規(江華島条約)を交わしたが、それをきっかけにして、朝鮮王朝はアメリカ、フランス、ロシアなどとも通商条約を結んだ。しかし、それらは外国の武力に威嚇されて結んだ不平等条約だった。 …
  • 知りたい朝鮮王朝26/高宗の父と閔妃の争い

    1863年の即位当時は11歳だった高宗(コジョン)。まだ幼いという理由で興宣大院君(フンソンデウォングン)が代わりに政治を行ない、弱体化した王権の復活に全力を注いでいった。 景福宮の再建を強行 興宣大院君は手始めに、…
  • 知りたい朝鮮王朝25/憲宗と哲宗の不幸

    23代王・純祖(スンジョ)の妻であった純元(スヌォン)王后。彼女の父が金祖淳(キム・ジョスン)だった。王の義理の父となった彼は、自分の一族である安東(アンドン)・金氏(キムシ)による勢道政治を進めた。これは、王の外戚が中…
  • 知りたい朝鮮王朝24/イ・ヨンの父・純祖の苦悩

    正祖(チョンジョ)の突然の死によって後を継いだのは二男で、23代王・純祖(スンジョ)となった。『雲が描いた月明り』の主人公になったイ・ヨン(孝明世子)の父である。彼が即位したときはまだ10歳と幼く、英祖の継妃である貞純(…
  • 知りたい朝鮮王朝23/イ・サン(正祖)が進めた政治改革

    正祖(チョンジョ)は即位すると、不遇の死を遂げた父・思悼世子(サドセジャ)の名誉回復に全力を注いだ。正祖は父を先王として尊び、後には風水地理的に優れた水原(スウォン)にその墓を移した。 人材の活性化 正祖は、父の墓の…
  • 知りたい朝鮮王朝22/イ・ソン(思悼世子)の餓死

    1724年に21代王として即位した英祖(ヨンジョ)は、官僚たちの各派閥から公平に人材を登用する政策を実施して、政権の安定を築いた。このように善政を続けていた英祖だが、長く王の座にいると、様々なほころびが出てくるものである…
  • 知りたい朝鮮王朝21/トンイから徹底的な教育を受けた英祖

    後世において名君と称された21代王の英祖(ヨンジョ)。彼がそこまで評価されたのは、母である淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の影響が大きい。彼女はドラマ『トンイ』の主人公のモデルだった女性だ。 庶民のための統治 粛宗(ス…
  • 知りたい朝鮮王朝20/張禧嬪の息子の景宗

    正室の座を手に入れた張禧嬪(チャン・ヒビン)は、その後、ますますわがままが目立つようになり、時には粛宗(スクチョン)にさえ意見をした。粛宗はそんな張禧嬪にいら立ちをつのらせていった。 呪いの祭壇 「離縁したのは間違い…
  • 知りたい朝鮮王朝19/張禧嬪を寵愛した粛宗

    長い間の人質生活によって清に反感を持っていた孝宗(ヒジョン)は、王になるとすぐに清に好感を持つ高官たちを追放した。そして、清がロシアの軍勢に苦しめられているという大義名分を得て、北伐の準備を強行した。 党派の争いが激…

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