知りたい朝鮮王朝24/イ・ヨンの父・純祖の苦悩

正祖(チョンジョ)の突然の死によって後を継いだのは二男で、23代王・純祖(スンジョ)となった。『雲が描いた月明り』の主人公になったイ・ヨン(孝明世子)の父である。彼が即位したときはまだ10歳と幼く、英祖の継妃である貞純(チョンスン)王后が代理で王政を行なった。





悪夢の宗教弾圧

貞純王后の基本政策は、天主教(カトリック)の教徒への徹底した弾圧だった。
「天主教は王朝の存在を根底から否定する邪教だから、根絶しなければならない。私に逆らう人間の多くが天主教に興味を持っているのも都合がいい。これを機会に政敵を一気に排除してやろう」
そう考えた貞純王后は、天主教禁止令を全国に発令した。その取り締まり方法として、「五家作統法」という制度を利用した。
この制度は、5組ずつの家族がお互いに強盗や窃盗などの犯罪行為を監視しあい、犯罪への抑止力にするものだ。
貞純王后はこの制度で取り締まる項目の中に天主教を加えた。
一般庶民は取り締まりの厳しさにただ恐怖するしかなかった。5組の家の中に天主教徒が1人でもいたら、連帯責任で全員が死罪となった。
その結果、多くの無関係の人が理不尽に殺された。被害者は数万人にも及んでいて、大半は巻き添えだった。




この虐殺劇は辛酉の年(1801年)に起きたので「辛酉迫害」と言われている。結果として、貞純王后の政敵は捕まったり殺されたりした。それをきっかけに貞純王后は、自分の息のかかった人を政権の中枢にすえた。
(ページ2に続く)

知りたい朝鮮王朝1/最高実力者になった李成桂

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