- Home
- 英祖
タグ:英祖
-
英祖と思悼世子はなぜ対立したのか
1735年に生まれた思悼世子(サドセジャ)は神童と呼ばれた。喜んだ父の英祖(ヨンジョ)は、思悼世子が10歳のときから政治の表舞台にデビューさせた。これがいけなかった。当時の主流派閥は老論派(ノロンパ)だったが、思悼世子は… -
史実の王朝人物伝4「英祖」
朝鮮王朝19代王・粛宗(スクチョン)と側室の叔嬪・崔氏(スクビン・チェシ)との間に生まれた21代王・英祖(ヨンジョ)は、在位中に人権に配慮した政策を実施するなどの功績を立てたが……。 [caption id="atta… -
知りたい朝鮮王朝21/トンイから徹底的な教育を受けた英祖
後世において名君と称された21代王の英祖(ヨンジョ)。彼がそこまで評価されたのは、母である淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の影響が大きい。彼女はドラマ『トンイ』の主人公のモデルだった女性だ。 庶民のための統治 粛宗(ス… -
英祖との間に大きな確執を持った世子/朝鮮王朝の人物と歴史14
朝鮮王朝21代王・英祖(ヨンジョ)の息子として生まれた荘献(チャンホン)。彼は世子(セジャ=王の後継者)の立場でありながら、父親の英祖によって餓死させられてしまう。悲劇的な最期を迎える世子の謎に迫る。 [caption… -
27人の王の中で一番長生きした21代王・英祖/朝鮮王朝の人物と歴史4
朝鮮王朝19代王・粛宗(スクチョン)と側室の叔嬪・崔氏(スクビン・チェシ)との間に生まれた21代王・英祖(ヨンジョ)は、在位中に人権に配慮した政策を実施するなどの功績を立てたが……。 [caption id="atta… -
思悼世子を餓死させた英祖/歴史を面白く読む4
朝鮮王朝19代王・粛宗(スクチョン)と側室の叔嬪・崔氏(スクビン・チェシ)との間に生まれた21代王・英祖(ヨンジョ)は、在位中に人事問題で大きな功績を上げたのだが……。 英祖の誕生 1720年に朝鮮王朝19代… -
英祖が起こした悲劇/康熙奉の朝鮮王朝人物史22
粛宗(スクチョン)は1720年に59歳で世を去ります。後を継いだのは張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子で、20代王の景宗(キョンジョン)として即位しました。この景宗はとても性格がよかったそうで、張禧嬪とは違って人望もありまし… -
英祖は粛宗の息子でないという驚きの説もあった!
トンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)は1718年に亡くなり、粛宗(スクチョン)も1720年に世を去った。そして、張禧嬪が産んだ王子が20代王・景宗(キョンジョン)として即位した。 衝撃的な告発書 景宗には… -
英祖とイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)の悲劇!
1762年に朝鮮王朝で最大の悲劇と言われる大事件が起きた。国王の正式な後継者である世子(セジャ)が米びつに閉じ込められて餓死したのだ。しかも、それを命じたのが父であった国王だ。この悲劇はどのようにして起こったのだろうか。… -
英祖と思悼世子に確執が生まれた日
1735年に生まれた思悼世子(サドセジャ)は神童と呼ばれた。喜んだ父の英祖(ヨンジョ)は、思悼世子が10歳のときから政治の表舞台にデビューさせた。これがいけなかった。当時の主流派閥は老論派(ノロンパ)だったが、思悼世子は…