カテゴリー:王妃
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11代王・中宗(チュンジョン)の三番目の正室だった文定(ムンジョン)王后。彼女は自分が産んだ慶源大君(キョンウォンデグン)を王にするために、手段を選ばぬ悪行を重ねていた。特に、中宗の二番目の正室が産んだ12代王・仁宗(イ…
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『七日の王妃』の重要な登場人物は3人だ。10代王の燕山君(ヨンサングン)と、異母弟の晋城大君(チンソンデグン/後の中宗〔チュンジョン〕)。そして、端敬(タンギョン)王后だ。ドラマの中では異母兄弟の間で激しく揺れる端敬王后…
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19代王・粛宗(スクチョン)は絶世の美女と評された張禧嬪(チャン・ヒビン)のとりこになり、彼女を側室にした。そして、張禧嬪は粛宗の長男を出産した。そうなると、粛宗は正室の仁顕(イニョン)王后を離縁する方向で動き始めた。
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11代王の中宗(チュンジョン)が三番目に迎えた正室が文定(ムンジョン)王后だった。この文定王后は、1534年に中宗の二男を産んだ。それが慶源大君(キョンウォンデグン)であり、文定王后は我が子を絶対に王にしたいと強欲を出し…
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11代王・中宗(チュンジョン)の治世は38年の長きに及んだが、晩年は病に苦しむようになった。そんな中宗を支えたのは、世子(後の12代王・仁宗〔インジョン〕)だった。世子は中宗の2番目の正室・章敬(チャンギョン)王后が産ん…
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燕山君(ヨンサングン)を廃位にするためのクーデターは1506年に起こりました。主導した高官たちには、大義名分が必要でした。いくらひどい王でも追放するとなると、大義名分が重要なのです。そこでクーデター軍がかつぎあげたのが、…
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朝鮮王朝の歴代王妃年と子供の数を紹介します。朝鮮王朝には518年間に27人の国王がいましたが、王妃は42人いました。朝鮮王朝は一夫一婦制でしたが、王妃が亡くなると国王はすぐに再婚しました。それで、王妃の数が42人になって…
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女性最高のエリートコース
朝鮮王朝の法律を集大成した『経国大典』によると、男子は14歳、女子は13歳で結婚が許可された(年齢は満)。
しかし特例もあり、世子嬪(セジャビン/王の後継者の妻)の中には13歳未満で王室に嫁い…
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廃妃となってしまった
朝鮮王朝で嫁と姑の確執というと、9代王・成宗(ソンジョン)の実母の仁粋(インス)大妃と、成宗の正室であった尹(ユン)氏の2人が特に有名である。
仁粋大妃は、息子の嫁である尹氏を「育ちと性格が悪い」…
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