尊号を受けられなかった
柳氏は傲慢な女性であったが、自分たちの敗北を認め、死を選ぶことで恥の上塗りを避けようとした。
しかし、光海君は応じなかった。
彼は廃位になっても生に未練がありすぎた。
それは、悲劇の連鎖という運命を招いた。江華島に着いたあと、息子夫婦は逃亡を画策したことが発覚して自決した。
この出来事は柳氏に最後の決断を促した。彼女は息子の後を追うように首をくくって死んだ(病死したという説もある)。
その後も光海君は生きて、柳氏の死から18年後に66歳で世を去った。
今でも柳氏を語るときに廃妃(ペビ)という呼称がつきまとう。罪人として死んだために尊号を受けられず、他にたいした呼び方がないためだ。
それは、なんと不名誉なことであろうか。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
光海君(クァンヘグン)は仁祖(インジョ)によって暴君にされてしまった!