仁顕王后(イニョンワンフ)/朝鮮王朝人物紀行27

仁顕王后の死

張禧嬪は自分の部屋の近くに神堂を建てると、怪しげな者たちを呼んで呪詛を行なった。それが直接の原因かどうかは不明だが、仁顕王后は1701年に亡くなってしまう。
その後、淑嬪崔氏は、張禧嬪が呪詛を行なっていたことを知らせる。それを聞いた粛宗は激怒して、「仁顕王后が病気になってから一度も見舞いに来なかった」「悪口ばかり言っていた」「呪詛を行なった」ということを理由に、張禧嬪に死罪を言い渡した。罪人の子が王になることは本来ならありえないので、張禧嬪の息子も世子(セジャ)から外されてもおかしくはなかったが、粛宗はそうしなかった。
そのため、張禧嬪の子が粛宗の後継ぎとして20代王・景宗(キョンジョン)となるが、1724年、在位わずか4年で亡くなってしまう。その景宗の後を継いで21代王・英祖(ヨンジョ)となったのは、淑嬪崔氏の子である。




仁顕王后にとって、自分の後継ぎを産むことができなかったことは、悔しかったと思う。もし、彼女が後継ぎとなる息子を産んでいたら、どのような歴史になっていたのだろうか……。

文=康 大地【コウ ダイチ】

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