思悼世子(サドセジャ)の妻の恵慶宮は夫の死後にどうなった?(再読版)

長生きした恵慶宮

息子の行為が信じられなかった英祖は、思悼世子に真意を問いただす。それに対して思悼世子は何とか弁解するが、その言葉は届かなかった。
結局、英祖と思悼世子の確執は深まる一方となった。
ついに、英祖は思悼世子に自決を命じた。しかし、思悼世子はそれを拒んだ。
最終的に、思悼世子は罪人として米びつに閉じ込められ、その中で餓死してしまった。
息子が死んで初めて英祖は、自分の行ないを後悔した。思悼世子を自分の手に掛けたことで自責の念に駆られるのであれば、なぜ、もっと早く許してあげなかったのだろうか。
夫である思悼世子が餓死するときに何もできなかった恵慶宮。罪人の妻として実家に戻された彼女は、自分の夫を陥れた実家をそれでも守ろうとした。
実際に彼女が書いた『恨中録(ハンジュンノク)』という本には、夫よりも自分の実家を守るような文が多かった。




恵慶宮は1815年に80歳で世を去っている。つまり、彼女は1800年に亡くなった息子の22代王・正祖(チョンジョ)よりも長生きしたのである。

文=康 大地(コウ ダイチ)

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