朝鮮王宮の女官の悲しい運命とは?

朝鮮王朝では女官がいる組織全体を内命婦(ネミョンブ)と呼んでいた。ここに所属する女官は、5歳から10歳くらいの間に王宮に入ってくる場合が多かった。そんな子供たちは一人前の女官になるための指導を徹底的に受けて、成人すると「料理」「衣服」「洗濯」「刺繍」などを担当する各部署に回されていった。





女官が夢見たシンデレラ・ストーリー

女官は、原則的に「国王と結婚した」と見なされる存在だった。それゆえ、他の男性と結婚することはおろか、恋愛することも絶対に許されなかった。
万が一、女官が男性と肉体関係を結んだりすれば、それが発覚した段階で斬首にされた。もちろん、相手の男性も同罪だった。
それだけに、王宮の中で女官が恋愛をするというのは命がけであった。これも、国王に仕える身分としてやむを得なかった。
仮に女官が父親のわからない子を出産したときは、3カ月後に処刑された。3カ月の猶予があったのは、生まれた子に乳を与えるためだった。
そして、生まれた子は奴婢(ぬひ)にされた。
結局、女官は10歳未満のうちに王宮に入って、結婚をしないままずっと王宮で過ごしたのだが、病気や老齢になると王宮から出されてしまった。そういう意味では、非常に厳しい境遇を強いられていたのだ。




その一方で、女官の中には国王に気に入られて側室になる女性もいた。
朝鮮王朝の前期に国王は10人前後の側室を持つのが普通であり、女官から側室になった女性も少なくなかった。
ただし、朝鮮王朝の後期になると国王は側室をあまり抱えなくなった。それは、儒教的な道徳観が厳格になり、国王といえども数多くの側室を持てるような雰囲気ではなくなったからだ。それによって、側室の数は3人から5人ほどに減った。
それでも、張禧嬪(チャン・ヒビン)のように、女官から側室、さらに王妃に昇格するような女性もいた。
王宮にはシンデレラ・ストーリーが起こりうる可能性があったのだ。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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