ドラマ『トンイ』は張禧嬪(チャン・ヒビン)の王妃失格をどう描いたか

1689年に廃妃となった仁顕(イニョン)王后が王妃に復帰したのは5年後の1694年だった。それは同時に、王妃になっていた張禧嬪(チャン・ヒビン)が側室に転落することを意味していた。





粛宗の決断

ドラマ『トンイ』が、張禧嬪が王妃から転落する場面を描いたのは第38話だった。この人気時代劇はその場面をどのように描いていたか。以下に再現してみよう。
粛宗は御前会議で声を大にして叫んでいる。
「中殿(王妃)は王と民にとっても大事な立場であるにもかかわらず、張氏は王室と朝廷に多大な損害をもたらした。よって、張氏はこれ以上その地位にとどまることはできず、中殿の座から降ろすことを決めた」
粛宗の声が響く中で、画面は張禧嬪が悲しみにうちひしがれている場面や宮中が大騒ぎになっている場面に切り替わる。そこに粛宗の声が次のようにかぶる。
「張氏が世子の母であることを考慮して嬪(ピン)の品階(側室の最高位)にとどめる。先に廃妃になった仁顕王后は王妃に復位させる」
張禧嬪の実家は彼女を憎悪する庶民に襲われた。
王宮では、王妃の寝殿を追われる張禧嬪を女官たちがうれしそうに見ていた。それを横目にしながら張禧嬪は、「地獄は地獄として記憶しなければならない。私はこの瞬間を絶対に忘れない」とつぶやく。




一方、自己嫌悪に陥っていたのが粛宗その人だった。トンイを前にして「すべて悪いのは余だ。禧嬪をつけあがらせたのも、宮中を混乱させたのも……」と嘆く。
トンイがなぐさめる。
「国と朝廷のために本当に正しい決定をなさいました」
「今度の決定はお前をつらくさせるかもしれない。中殿(王妃)から降格したとはいえ、禧嬪は世子の母だ。これは彼女に力が残っているということであり、それはお前に対しても……」
「それで私が殿下を恨むとでも? 私は恐くありません。殿下が何を心配されているのかわかりますが、気になさらないでください。私は殿下を信じ、自分を信じ、精一杯にやります」
トンイのその言葉を聞いて粛宗はホッと安心する。この場面を通して、粛宗にとってトンイが一番大切な存在であることがよくわかる。




以上がドラマ『トンイ』での描き方だったが、史実でも、1694年の時点で粛宗が一番寵愛していたのがトンイ(淑嬪・崔氏)であったことは間違いない。粛宗はまだトンイの「恐るべき裏の顔」を知らなかったのである。

文=康 熙奉(カン ヒボン)
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