無念の母
ときは真冬だった。
明聖王后はあまりに冷水を浴びすぎたゆえに寝込んでしまった。
無理がたたったのである。
結局、明聖王后は1683年に世を去った。まだ41歳だったが、我が子を溺愛する気持ちが死を招いた。
不思議なことが起きるものだ。明聖王后が亡くなると、粛宗の熱が下がって彼は全快したのである。
母は自らの身を犠牲にして息子を救ったともいえる。
明聖王后が亡くなったあと、もう張禧嬪を敵視する人はいなかった。粛宗の希望もあって、張禧嬪が王宮に呼び戻された。
以後、張禧嬪は粛宗の寵愛を一身に受けた。
彼女は側室になり、1688年に粛宗の長男を産んだ。さらに、1689年に仁顕王后が廃妃となり、空いた王妃の座に昇格した。
こうした張禧嬪の栄華を、草葉の蔭で明聖王后はどんなに嘆いたことだろうか。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
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