親子の不仲
昭顕世子の夫婦は人質ではあったが、大国の文化に接し、皇帝とともに北京に行った際にはヨーロッパの宣教師たちとも交流した。
2人はキリスト教に触れて、それまでの儒教一辺倒の世界観を大いに広げたのである。「井の中の蛙」が大海を知ったというわけだ。
息子たちと別れる際に慟哭するほど嘆き悲しんだ仁祖は、昭顕世子夫婦が憎き清で楽しくやっていることを知って激怒した。
さらには、昭顕世子が清と結託して朝鮮王朝の王を代えようとしている、という噂まで伝わってきた。
1645年、不信感が増幅した仁祖の元に昭顕世子が帰ってきた。親子の感激的な対面があったものの、すぐに険悪な雰囲気になった。
仁祖の前で昭顕世子が「いかに外国の文化が進んでいるか」「外国から学ぶことがどれだけ重要か」を力説し、仁祖が激怒して硯を投げつけたのだ。
親子の不仲が決定的となった。
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