『トンイ』『イ・サン』の歴史がわかる年表(後編)

イ・ビョンフン監督の演出で有名な『トンイ』と『イ・サン』を時系列に沿って年表で見る記事の3回目。ここでは、英祖(ヨンジョ)と思悼(サド)世子の確執によって起こってしまった重大事件を扱っている。

悪夢の餓死事件

英祖は政治的に手腕を発揮した。
1735年には息子の思悼世子も生まれた。聡明な息子に大いに期待したのだが、思悼世子は成長するにしたがって素行に問題が生じて、徐々に親子の確執が大きくなっていった。その末に、「悪夢の1762年」を迎えた。

1762年 5月22日、官僚が「思悼世子に謀反の疑いあり」と訴え出る。
閏5月13日、英祖が思悼世子を米びつに閉じ込める。
閏5月21日、米びつの中で餓死している思悼世子が発見される。

時代劇『イ・サン』は、思悼世子が米びつに閉じ込められている場面から始まる。ドラマの中で思悼世子の息子のサンは父の助命を英祖に願い出るが、その行動は史実でも記録されている。しかし、その甲斐もなく、思悼世子は餓死してしまった。
英祖には思悼世子以外の息子がいなかったので、孫のサンが王の後継者となる。彼は敵対勢力から何度も命を狙われたが、辛抱を重ねてりっぱな人間に成長していく。

1776年 3月4日に英祖が亡くなる。
3月10日にサンが即位して22代王・正祖(チョンジョ)となる。
1777年 7月に正祖は暗殺団に命を狙われる。
1880年 正祖が一番信頼した側近の洪国栄(ホン・グギョン)が王妃殺害を狙う。
結局、洪国栄は地方に追放される。

正祖にとっては、洪国栄の背信が痛手だった。そのあたりは『イ・サン』でも細かく描かれていたが、有能な側近を失った正祖の精神的な負担はますます大きくなった。しかし、彼は孤高に耐えて、果敢に政治改革を行なって実績をあげた。その総仕上げは、非業の死をとげた父を追慕することだった。

1789年 正祖は父の陵墓を水原(スウォン)に移す。
1794年 水原で華城(ファソン)の建設が始まり、1796年に完成する。
1800年 6月28日に正祖が亡くなる。

『トンイ』『イ・サン』の歴史がわかる年表(前編)

『トンイ』『イ・サン』の歴史がわかる年表(中編)

関連記事

ページ上部へ戻る