三国を統一した新羅
交渉後、金春秋が新羅に戻ると、28代王・真徳女王(チンドクヨワン)が亡くなっていた。当時の新羅では、王位継承者は父母ともに王族である「聖骨(ソンゴル)」という階級から選出されることになっていたが、真徳女王が子を産まずに亡くなったため、両親のどちらかが王族である「真骨(チンゴル)」の金春秋が29代王・武烈王(ムヨルワン)として即位した。
唐王と連携した武烈王は、「先百済・後高句麗」という攻撃指針を打ち出し、先に百済を攻撃して、次に高句麗に侵攻することにした。大国・唐と連携した新羅は、百済に攻撃をしかけ、660年に滅亡させた。娘夫婦の死から18年にして、武烈王の悲願は達成されたのだった。
翌年、武烈王は高句麗遠征の途中に病死する。30代王・文武王(ムンムワン)は、武烈王の遺志を継ぎ、見事に三国統一を果たした。