すべては母親のおかげ
朝鮮王朝時代、都の漢陽(ハニャン)は城郭に囲まれた都市であった。その城郭の中がおよそ600万坪だったと推定されている。そうだとすれば、貞明公主が慶尚道に持っていた土地は、都の漢陽より8倍強も広かったことになる。
他にも、貞明公主は全羅道にいくつも島を所有していた。
なぜ、彼女はそこまで大地主になれたのか。
それはとりもなおさず、母親の仁穆王后が仁祖に働きかけた結果だった。クーデターを起こして王となった仁祖は、王位交代の大義名分を仁穆王后から与えられていた。それだけに、仁祖は仁穆王后のご機嫌を取る必要があったのだ。その立場を利用して、仁穆王后は娘のために広大な土地を譲り受けたのである。
518年間も続いた朝鮮王朝において、貞明公主ほど広い土地を所有した女性は、他にいなかったのではないか。
(第10回に続く)
文=康 熙奉(カン ヒボン)