文定(ムンジョン)王后ほどの悪女が他にいたのか

上機嫌な継母

日に日に体調を崩す仁宗を周囲が心配したが、継母である文定王后だけは、冷やかな態度を崩さなかった。
朝鮮王朝の歴代王の死には毒殺を疑うケースが存在するが、あくまでも疑惑にすぎなかった。しかし、仁宗の毒殺説だけは現実味を帯びている。
中宗が亡くなった翌年、仁宗は文定王后から挨拶に来るように呼び出された。
体調のよくない王を臣下たちは止めるが、仁宗は息子として行かなくてはならないと譲らなかった。




ところが、仁宗が訪ねていくと、文定王后は上機嫌に餅を勧めてきた。継母が優しく接してくれたことを喜んだ仁宗は、出された餅をそのまま食べた。
しばらくすると、仁宗は下痢がひどくなり、数日後には高熱を出して完全に気を失ってしまった。
仁宗の体調は悪くなる一方で、もはや回復が望めないほどになった。それなのに、文定王后は何度も外出騒ぎを起こしては、臣下たちを混乱させた。それは、継母としてあまりにもわがままな態度だった。
そうした状況の中で、1545年7月に仁宗は30歳で息を引きとった。
彼には息子がいなかったため、必然的に慶源大君が13代王・明宗(ミョンジョン)として即位した。
一説によると、仁宗が子をもうけなかったのも、慶源大君を王にしたい継母のことを思っていたからだと伝えられている。歴代王の中でも仁宗ほど孝を尽くした人物はいなかったのだ。




しかし、文定王后は仁宗の葬儀を簡単にすませてしまう。
「在位期間が短いから」
それが理由だった。
文定王后はあまりに冷血な継母であった。

文=慎 虎俊(シン ホジュン)

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