甦る三国時代・高麗4/新羅の歴史(後編)

935年に新羅の歴史が終わる

統一王朝の都となった慶州はシルクロードの終着地として、東西の文物が集う大都市に発展した。
また、新羅は中国とも交易を盛んに行なったが、そうした中から張保皐(チャン・ボコ)のような超大物が誕生している。
しかし、新羅の一人勝ちの時代は長く続かなかった。慶州の立地条件の悪さが統一王朝の屋台骨を揺るがすようになったのだ。
慶州は朝鮮半島の南東部の端にあり、全土を統治するうえでは不都合だった。それゆえ、朝鮮半島全体に目が行き届かなくなり、各地に有力な豪族が台頭する結果となった。
そうした豪族たちは、自分たちの正統性を高めるために後百済(フペクチェ)や後高句麗(フコグリョ)といった国を建て、新羅と激しく争うようになった。
その中から、高句麗の継承者を自称する王建(ワン・ゴン)が918年に高麗(コリョ)を建国し、勢力を伸ばしてついに935年に新羅を帰順させた。ここに新羅時代は終わりを告げたのである。




その後、高麗は各地の勢力を駆逐して936年に新たな統一国家を築いた。
統一王朝は新羅から高麗に移ったのだが、新羅時代の制度や風習の多くが高麗にも受け継がれ、それは今の韓国社会にも継承されている。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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