1450年に名君の世宗(セジョン)が世を去り、長男の文宗(ムンジョン)が5代王として即位した。文宗は世宗の政治を上手く引き継ぎ安定した政治を行なう。しかし、その治世はわずか2年と短かった。病弱すぎたのである。
首陽の野望
1452年、文宗は38歳の若さで亡くなった。
まだ11歳だった長男の端宗(タンジョン)が6代王として即位することによって、野心家たちのくすぶっていた権力欲に火がついてしまった。
宮中では幼い端宗を籠絡しようと水面下での権力闘争が繰り広げられた。そんな宮中で、ひときわ強い存在感を放っていたのが端宗の叔父にあたる首陽(スヤン)だ。彼は世宗の二男であり、文宗の弟である。
首陽は自分を取り巻く環境に大きな不満を感じていた。それは、世宗の意思を守る高官たち……皇甫仁(ファンボ・イン)、金宗瑞(キム・ジョンソ)たちが強い権力を持ち、首陽は不穏分子とし徹底的に監視されていたからだ。
「なぜ王族である俺が官僚たちの顔色をうかがわねばならないんだ。この屈辱は絶対に晴らしてやる」
首陽は政権を奪う機会を待っていた。
そんなある日、野心に燃える首陽の前に権擥(クォン・ナム)という学者が現れた。彼は一部の高官たちばかりが強大な権力を握っていることに不満を抱いていた。
「親愛なる首陽大君様。失礼ではございますが、今の王室は歪んでおります。王が飾りとなり、下賤な者たちが政治を取り仕切るなど言語道断でございます。我が国の玉座には首陽大君様こそがふさわしいかと存じます」
権擥の狡猾さが首陽は気に入った。
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