日本と韓国の交流史14/高麗郡の誕生

西武池袋線は、池袋から西武秩父まで通っている鉄道だが、中間に位置する飯能駅の2つ先に「高麗(こま)」という駅がある。駅名からしていかにも高句麗にゆかりがありそうな土地である。

高麗王廟は若光を祀っていると伝わっている




東国に移る渡来人

西武池袋線の「高麗」駅の改札口を出ると、正面に2つの塔が見える。真っ赤に塗られた塔の右側に「天下大将軍」、左側に「地下女将軍」と記されている。それだけでなく、2つの塔の上には怒りの表情を浮かべる人の顔が付いている。
もともとは、朝鮮半島において村の入口に設置して魔よけの役割を果たしたものだという。
それにしても、なぜ朝鮮半島に古くから伝わる習俗が高麗駅の真ん前で再現されているのか。それは、1300年前に高句麗人がこの地を開拓したからである。その歴史にあやかっているのが、「天下大将軍」であり、「地下女将軍」なのだ。
この2つの塔をまじまじと見たあと、しばらくは武蔵丘陵を歩いてみよう。すぐに川が見えてくるが、その名は高麗川だ。他に、「高麗」という名がついた学校や公共施設などがある。現在の行政区域は埼玉県日高市なのだが……。
高麗駅から40分ほど歩くと、聖天院(しょうでんいん)にたどりつく。入り口には、例の「大将軍」と「女将軍」の塔が建っている。それだけで、この寺も高句麗にゆかりがあることがわかる。




山門をくぐらず、そのまま右に進むと、すぐに「高麗王廟」に出た。社の中に高さ2・3mの石塔がある。これが墓に該当するのだが、祀られているのは誰なのか。
実は、あの若光(じゃっこう)である。8世紀の初めに大磯に定住していたはずの彼の墓が、なぜ埼玉県の日高市にあるのか。
それを語る前に、7世紀後半に畿内から東国に移る渡来人がいかに多かったかを見てみよう。『日高市史』(埼玉県日高市発行)は次のように記録している。
・684年、朝廷は百済人23人を武蔵に移した。
・687年、高句麗人56人を常陸に、新羅人14人を下野に、新羅人22人を武蔵に移した。
・689年、下野へ新羅人を移住させた。
・690年、新羅人12人が武蔵に、新羅人の若干が下野に移った。
(ページ2に続く)

日本と韓国の交流史1/海を渡る人々

日本と韓国の交流史2/広開土王の時代

日本と韓国の交流史15/元寇

固定ページ:

1

2

関連記事

特集記事

ページ上部へ戻る