大きな痛手
なにしろ、安東・金氏にとって孝明世子は脅威だった。
なぜ、脅威だったのか。
それは、孝明世子の頭脳があまりに明晰だったからだ。
彼の祖父は時代劇『イ・サン』の主人公になった正祖(チョンジョ)だが、読書好きで知られた正祖ゆずりで、とにかく孝明世子も本を読むことが好きだった。
この孝明世子は、父の命令で18歳から代理聴政(テリチョンジョン/摂政のことで政治の執権を代行すること)を行なった。
その際には安東・金氏の勢力に対抗して新しい人材を登用したというから、もし孝明世子がもっと生きて順当に王になっていれば、政治を刷新していたに違いない。
そうなれば、その後の朝鮮王朝の政治的な腐敗は防げたであろう。
孝明世子の早世は、朝鮮王朝にとっても大きな痛手だった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)