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王妃たちが国母であった時代「第6回」
英祖は、後になって思悼世子を餓死させたことをとても後悔した。せめてもの罪滅ぼしとして、思悼世子の息子の英才教育に力を入れた。それが22代王となった正祖(チョンジョ)である。 勢道政治が横行 彼の正妻は、孝懿(ヒ… -
王妃たちが国母であった時代「第5回」
明聖(ミョンソン)王后の息子が19代王・粛宗(スクチョン)だった。ただし、明聖王后は、粛宗が正室の仁顕(イニョン)王后がいるにもかかわらず、側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)を寵愛することが不満だった。それは、張禧嬪の存在が… -
王妃たちが国母であった時代「第4回」
明宗(ミョンジョン)の後を継いだ14代王・宣祖(ソンジョ)には、懿仁(ウィイン)王后という正妻がいたが、子供がいないまま1600年に45歳で亡くなった。その2年後に宣祖が迎えた継妃が仁穆(インモク)王后だった。 162… -
王妃たちが国母であった時代「第3回」
成人した成宗は数々の政治的業績を残したが、問題を起こしたのが二番目の正妻となった斉献(チェホン)王后だった。彼女は後宮を追い落とす策略を露骨にやりすぎて、成宗の信頼を失った。さらに、成宗の顔をひっかいて傷を負わせるという… -
王妃たちが国母であった時代「第2回」
世宗(セジョン)の長男が5代王・文宗(ムンジョン)として即位したが、病弱によって2年で亡くなり、その息子がわずか11歳で6代王・端宗(タンジョン)となった。 孤立した幼い王 世宗(セジョン)の長男が5代王・文宗… -
王妃たちが国母であった時代「第1回」
李成桂(イ・ソンゲ)は1392年に朝鮮王朝を開いて、初代王・太祖(テジョ)となった。太祖の最初の妻は、神懿(シヌィ)王后で、夫婦には息子が6人いた。上から芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳毅(バンイ)、芳幹(バンガン)… -
大妃(王の母)になって極悪人と化した「3人の巨悪王妃」とは誰か
朝鮮王朝では未成年の王が即位した場合、王族最長老の女性が代理で政治を仕切ることになっていた。そういうときこそ、政治が大いに乱れた。腐敗政治の元凶になった3人の大妃(テビ/王の母)を取り上げてみよう。 本当の巨… -
朝鮮王朝で王妃になりながら廃妃になった人は誰なのか
朝鮮王朝の法律に沿って王が決定されたように、王妃もまた厳格な法を適用されて決められていました。それだけに、王妃を廃妃にするのは容易ではないのですが、実際には多くの王妃が廃妃になっています。 理不尽な廃妃 一番… -
朝鮮王朝で王妃はどう生きたのか/第6章「滅亡」編
英祖は、後になって思悼世子を餓死させたことをとても後悔した。せめてもの罪滅ぼしとして、思悼世子の息子の英才教育に力を入れた。それが22代王となった正祖(チョンジョ)である。 勢道政治が横行 正祖の正妻は、孝懿(… -
朝鮮王朝で王妃はどう生きたのか/第5章「悪女」編
明聖(ミョンソン)王后の息子が19代王・粛宗(スクチョン)だった。ただし、明聖王后は、粛宗が正室の仁顕(イニョン)王后がいるにもかかわらず、側室の張禧嬪(チャン・ヒビン)を寵愛することが不満だった。それは、張禧嬪の存在が…