タグ:太宗
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李芳遠(イ・バンウォン)は執拗に世子の座を狙った。彼にしても、自分の兄たちが指名されたのであれば必死にこらえたことだろう。しかし、異母弟の李芳碩(イ・バンソク)では絶対に認めることはできなかったのである。
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朝鮮王朝は1392年に建国されたが、誕生したばかりの王朝を強大にしたのが3代王の太宗(テジョン)であった。彼は朝鮮王朝の創始者である太祖(テジョ)の五男だった李芳遠(イ・バンウォン)のことだ。
異母弟が世子に…
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高麗王朝は一夫多妻制だった。王朝を創設した王建(ワン・ゴン)がそもそも、地方の豪族を味方に引き入れるために戦略結婚を何度も繰り返した経歴を持っていた。出世した文官や武官は、故郷に住む本妻の他に、都に別の若い妻を住まわせる…
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朝鮮王朝の3代王である太宗(テジョン)は朝鮮王朝の基盤を整備したことで知られる王だが、彼は王になる過程で骨肉の争いを起こしている。いったい、なぜそんな骨肉の争いが起きたのだろうか。
兄弟同士の骨肉の争い
太宗…
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父親である李成桂(イ・ソンゲ/初代王・太祖【テジョ】)の時代に起こった後継者をめぐる骨肉の争い。それを勝ち抜いて3代王となった太宗(テジョン)。彼は、在位中にどのような政策を行なったのか……。
王の座を勝ち取った芳遠…
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朝鮮王朝3代王・太宗(テジョン)は、初代王・太祖(テジョ)の五男として生まれたが、後継者に指名されなかったことで「第一次王子の乱」を起こした。その後、彼はどんな行動を取ったのか。
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1398年に2代王の定宗(チョンジョン)が即位しました。しかし、後ろで糸を引いていたのは、弟の芳遠(バンウォン)です。彼は間違いなく、誕生したばかりの朝鮮王朝の最大の実力者でした。
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生没年/1367年~1422年
在位/1400年~1418年
1400年、2代王・定宗(チョンジョン)から王位を譲り受けた李芳遠(イ・バンウォン)は、咸興(ハムン)にいる父の太祖(テジョ)に何人も使者を送った。しかし、…
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意外な後継者
高麗(コリョ)王朝は一夫多妻制だった。
王朝を創設した王建(ワン・ゴン)がそもそも、地方の豪族を味方に引き入れるために戦略結婚を何度も繰り返した経歴を持っていた。
出世した文官や武官は、故郷に住む本妻の他…
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