タグ:歴史
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3代王・太宗(テジョン)の三男がハングルを創製したことで有名な4代王・世宗(セジョン)です。兄2人をさしおいて王になれたのは、すばらしい学識の持ち主だったからでしょう。実際、歴史に残る名君として安定した治世を行ないました…
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鄭道伝(チョン・ドジョン)を殺した芳遠(バンウォン)は、王宮に行って病床にいた李成桂(イ・ソンゲ)に会い、自分を後継者として認めさせました。ここからが芳遠の賢いところなのですが、彼は五男の自分がいきなり王になると波風が立…
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朝鮮王朝創設の際に、李成桂(イ・ソンゲ)が一番頼った側近として制度や組織をまとめる活躍をしたのが儒教学者の鄭道伝(チョン・ドジョン)です。彼こそは、朝鮮王朝創設時の第一の功臣といえるでしょう。
鄭道伝の評価は…
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まずは、初代王・太祖(テジョ)となった李成桂(イ・ソンゲ)についてです。彼は、高麗王朝の武将でしたが、最高実力者となって高麗王を追放し、1392年に朝鮮王朝を創設しました。
神徳王后の存在
その李成桂には妻が…
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朝鮮半島を統一した新羅だが、長い政権の間に内政の腐敗を招き、各地で頻繁にクーデターが起こるようになった。その結果、後百済(フベクチェ)と後高句麗(フコグリョ)という国が生まれ、再び三国がてい立する後三国時代に突入した。こ…
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668年、高句麗が滅びた後、高句麗の遺民たちは各地に散らばっていった。新羅に帰化する者や、唐に連行される者、異民族の群れに身を寄せる者など様々だった。しかし、中には高句麗を再興させようと、最後まで戦い抜く者たちもいた。高…
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新羅(シルラ)の名君というと、中央集権体制を確立した26代王・真平王(チンピョンワン)の名が挙げられることが多い。しかし、真平王に勝るとも劣らない功績を挙げたのが、29代王の武烈王(ムヨルワン)だ。彼は、いったいどんな王…
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新羅(シルラ)で、女性として初めて王となった善徳(ソンドク)女王。彼女の父親は、26代の真平王(チンピョンワン)だ。その真平王に息子がいなかったこともあって、善徳女王が即位したのだが、彼女はいったいどんな女性だったのだろ…
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百済13代王・近肖古王(クンチョゴワン)は、11代王・比流王(ピリュワン)の息子として生まれた。幼いときから聡明だった近肖古王は、父の期待を一身に背負い、346年に王に即位した。彼はいったいどのような王様だったのか?
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高句麗(コグリョ)・百済(ペクチェ)・新羅(シルラ)が覇権を争った三国時代。その三国に続く勢力を持っていたのが、小国の連合体である伽耶(カヤ)だ。伽耶については史実上、謎が多く、その初代王・金首露(キム・スロ)にしても神…
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